I learned silence from the talkative and tolerance from the intolerant and kindness from the unkind

今日、学習していていい言葉だなと思ったのでシェアします。

I learned silence from the talkative and tolerance from the intolerant and kindness from the unkind

~私はおしゃべりな人々から 沈黙を学び 不寛容な人々から寛容を学び 不親切な人々から親切を学んだ~

レバノンの詩人 ハリール・ジブラーンの言葉です。

 

私は今日初めてこの言葉を知りました。

引用されていたのはこちらの講演です。

www.ted.com

 

今はいわゆるコロナ渦で外出自粛するように呼びかけられていますね。

真面目に自粛要請を守っている人から見ると、この状況下でもまだ外出をやめない方々を報道等で見聞きして腹立たしく思えることもあるでしょう。

かく言う私も苛立ちややるせなさを感じることもあります。

 

でもそこで正義を振りかざして

正義の外出自粛順守者 VS 悪の違反者

という二項対立を構造を作るのは危険を孕んでいるのではないか、とこのスピーチを聴いて考えさせられました。

多くの人は(中略) 慣れないことが多すぎると 馴染みのあるものを求めるものです そしてものごとがあまりに混乱してくると 人々は単純さを切望します

Elif Shafak: The revolutionary power of diverse thought | TED Talk

 

まさにその通りですよね。

正義と悪の正義側に立っているとなんとなく安心感が得られるというのは経験から分かるのではないでしょうか。

これは大変危険な岐路です。なぜなら ここにこそ大衆扇動家が現れるからです 。 扇動家は集合的感情がどのように働くかを知っており自分 ― たいてい男性です ― がどうすれば利益を得られるか理解しています。彼は私たちが全員自分の部族であることを訴えます 。そして 同じ部族の人たちに囲まれていることが安全であると訴えます。

Elif Shafak: The revolutionary power of diverse thought | TED Talk Subtitles and Transcript | TED

扇動行為は時に自由と対立します。

その自由を守るために必要なのが感情を尊重するということなのです。

彼女は煽動家たちに共通するのが、曖昧さへの不寛容であるといいます。

人の感情は二元論で語ることができない複雑で曖昧な存在です。

感情を抑圧したり、無理にどちらかに帰属させようとするのではなく多様であることを認めることが今の時代、求められるというところでしょうか。

 

老子の「善人は不善人の師、不善人は善人の資なり」という言葉をふと思い出しました。

どんな人でも、その考えや行動から師として学ぶことがある、相手を尊重することを今の混沌とした時代に大切にしたいと思います。

 

 

〇おまけ〇

デマゴーグとアジテートの違いって?

となったので調べました。

Wikipediaには

「扇動者」の解説に

市民や大衆の中にあって、特定のイデオロギーや政治的な意図に基づいて、突発的な大衆行動を率先して指揮したり、選挙運動で特定の政治グループに有利になるような世論形成に向けて活動したりする人。アジテーター(agitator)とも。

(中略)

歴史上の事例として、古代ギリシアにおいて衆愚政治の原因となったとされる扇動的な政治指導者のことを、デマゴーグと呼ぶ。

扇動者 - Wikipedia

とありますね。その人(煽動する人)の立場で呼び分けているみたいです。